世界の生産量1,000万トンに対し、日本はわずか4トン —— 0.00004%。
コーヒーベルト(北緯25度~南緯25度)から外れた日本での栽培は『不可能』とされてきました。
しかし2016年、沖縄のADA FARMがCoffee Quality Instituteの国際審査で84.67点を獲得し、世界トップ5%の品質を証明。
日本産のコーヒー、小笠原諸島から沖縄、奄美群島まで、台風と闘いながら挑戦を続ける生産者たちの物語です。
日本産のコーヒー栽培:基本的な背景
なぜ日本でコーヒー栽培が困難なのか
生産者が語る現実
コーヒーの木が健康に育つためには、年間平均気温15~24℃、年間降水量1,200~2,000mm、明確な雨季と乾季という条件が必要です。
これらの条件を満たすのが、赤道を中心とした北緯25度~南緯25度の『コーヒーベルト』と呼ばれる地域。
しかし、日本の生産者が直面する困難は、教科書的な気候条件だけではありません。
徳之島の吉玉誠一さんは語ります。
『最初の4年間、海側では塩害、山側では冬の寒さで次々と枯れた。100本植えて生き残ったのは3本だけ』
宮出珈琲園の宮出博史さんは、2012年の台風で2500本が全滅。
『一夜にして5年分の努力が消えた』
小笠原諸島では野生のヤギがコーヒーの新芽を食べ尽くし、沖縄では年3回襲来する台風で収穫の50%以上が被害を受ける —— これが日本産のコーヒー栽培の現実です。
日本産のコーヒー栽培の現状
数字が語る真実
現在、日本国内でのコーヒー生産量は年間約4トン。
これは世界全体の生産量1,000万トンと比べると0.00004%という微々たるものですが、平均単価は約3万円/kgと非常に高価値な農産物として位置づけられています。
この価格の内訳を見ると:
● 労働コスト:生産費の70%(ブラジルは10%)
● 年間収穫量:農園あたり平均50kg(ブラジルの大規模農園の1/1000)
● 収穫期間:完熟豆のみ手摘みで3ヶ月間
● 台風被害による損失:平均年間30%
生産地は主に小笠原諸島(3農園)、鹿児島県の奄美群島(20農園)、沖縄県(約30農園)で、合計70件以上の農園が点在。
さらに2022年以降、岡山、熊本、福岡、関東でも新規参入が相次いでいます。
いくつかご紹介しましょう。
小笠原諸島:日本コーヒー発祥の地の復活物語
明治時代から続く歴史と戦争の記憶
小笠原諸島は、明治11年(1878年)に日本で初めてコーヒー栽培が試みられた『日本産のコーヒー発祥の地』です。
父島には今も『コーヒー山』という地名が残り、当時の栽培の歴史を物語っています。
しかし1944年、太平洋戦争の激化により全島民6,886人が本土へ強制疎開。
硫黄島の戦いでは日本兵2万人、アメリカ兵2万6000人が死傷する激戦地となりました。
戦後、小笠原諸島は1968年まで23年間アメリカの統治下に置かれ、この間日本人の帰島は禁止。
欧米系島民129人のみが帰島を許可されるという複雑な歴史を辿りました。
野瀬農園:戦後復活の奇跡
【Nose’s FarmGarden(野瀬農園)】の物語は、まさに奇跡の復活劇です。
明治時代に野瀬家がコーヒーの苗を譲り受けたのが始まりでしたが、第二次世界大戦中に全島民が強制疎開を余儀なくされました。
戦争が終わり島が日本に返還された時、土地はジャングル化していました。
しかし昭和48年、4代目の野瀬昭雄さんが帰島すると、ガジュマルの巨木に覆われた土地で、台風で倒れながらも根から新芽を出して命をつないでいるコーヒーの木を発見。
『まるで島の歴史そのものだった』と当時を振り返ります。
現在は娘のもとみさんが栽培を引き継ぎ、観光客向けのコーヒーツアーを実施。
年間200kgのコーヒー豆を生産し、参加者が自ら手で焙煎した貴重な一杯を森の中で味わうという、他では体験できない特別な時間を提供しています。
品種は高品質で知られるアラビカ種のティピカ。
接木苗ではなく、種から育った実生苗を使用し、明治から続く小笠原コーヒーの歴史を今に伝えています。
USK Coffee:名古屋からの移住者が築いた夢
USK Coffeeを営む宮川雄介さんは、名古屋で焙煎工場に勤めていた生粋のコーヒーファンでした。
『コーヒーのすべてを自分でやりたくて』という思いから、2004年に父島に移住を決断。
移住後は野生のヤギの襲来や毎年見舞われる台風被害と格闘しながら、現在250本のコーヒーの木を育てています。
土づくりから焙煎まで、コーヒーに関わるすべての作業を一人で一貫して行い、2011年4月にはカフェをオープン。
森の中に留め置いたヴィンテージのエアストリームをキッチンにしたユニークなカフェで、100%小笠原産の『ボニンアイランドコーヒー』を提供。
無農薬栽培で海洋島ならではのAgroforestry(森林農法)を目指し、土づくりには海の恵みを森へ運び、収穫はすべてハンドピッキング。
採れた実の果肉を付けたまま乾燥させるナチュラルプロセスに、発酵の工程を加える新たな挑戦も行っています。
コーヒー果実のお茶・ギシルやコーヒーチェリーソーダなど、コーヒー農家ならではのメニューを積極的に導入し、小笠原コーヒーの可能性を追求し続けています。
ハートロックカフェ:情熱が生んだ農園
ガイド業を25年以上営む竹澤博隆さんは、『せっかくなら小笠原コーヒーを出したい』という思いから農園開設を決意。
島で唯一名前が付いている『常世ノ滝』のそばにある農園は、ガジュマルの木がうっそうと生い茂り、人がたどり着けないくらいのジャングルだった場所を、1年間スタッフ総出で開墾しました。
『景色を変えるのが僕の大好きな仕事。毎日、自由研究している感じですね』
と語る竹澤さんの情熱が、新たなコーヒー農園を生み出したのです。
2007年にハンバーガーとフィッシュバーガーからスタートしたカフェは、現在では小笠原名物のサメバーガーも人気。
カフェでは、台風の影響によりなかなか口にすることのできなかった小笠原コーヒーを、農家の協力によりブレンドという形で提供。
予約制のチケット販売により、一粒一粒が大変貴重なコーヒーを無駄なく楽しめます。
また、エクアドル・インタグ地方の有機コーヒーも自家焙煎で提供し、売り上げの一部を環境保護団体に寄付するなど、環境への配慮も忘れません。
2023年にはグランピング施設のオープンも予定しています。
沖縄県:亜熱帯の恵みを活かした本格展開
沖縄コーヒーの歴史と発展
沖縄でのコーヒー栽培は約45年前、和宇慶さんがブラジルにある日本人移民農場からムンドノーボ種を入手したことから始まりました。
現在では沖縄本島から石垣島まで、70件以上の農園が存在し、年間約4トンの生産量を誇ります。
Perfect Daily Grind誌は『沖縄は北緯26度に位置し、技術的にはコーヒーベルトに含まれる。珊瑚礁由来の弱酸性土壌と年間2000mmの降水量が、独特の風味を生み出している』と分析。
2014年には『沖縄珈琲生産組合』が設立され、台風・強光・寒波の3つの課題に対する対策を強化。
品質の維持と安定した生産を目指しています。
又吉コーヒー園:体験型農園の先駆者
又吉コーヒー園は沖縄県東村にある代表的な観光農園です。
無農薬による栽培から収穫、乾燥、脱穀、選別、焙煎、出荷まで、6次産業化による一貫生産を実践。
代表取締役の又吉拓之さんは『その値段でないと出せないのが現実』と、1杯2000円という価格設定について語ります。
東京ドーム2つ分(3万坪)の敷地面積のうち5000坪(1.7ヘクタール)がコーヒー畑。
2025年4月には国内4例目となるQ認証を82.67というスコアで取得しました。
精製方法にもこだわり、ウォッシュドプロセス、ナチュラルプロセス、ハニープロセスなど主要な精製方法を全て試し、気温や湿度などの条件を細かく変えることで味の違いを追求。
『おいしいコーヒーを飲んでもらうためなら何でもやる』という信念のもと、コーヒーの収穫・焙煎体験ツアーでは、参加者が実際にコーヒーチェリーを手摘みし、自分で焙煎したコーヒーを味わうことができます。
『コーヒー1杯に込められた生産者の想いと努力』を肌で感じられる貴重な体験として人気を集めています。
中山コーヒー園:究極の一杯を求めて
やんばるの自然に囲まれた中山コーヒー園は、『From seed to cup(種からカップまで)』をテーマに究極の一杯を追求。
北緯26.5度に位置し、ヒカゲヘゴやシダなどの亜熱帯植物が生い茂る自然豊かな山の中で、山の谷間や斜面を利用し、防風林を植えて自然に近い環境で栽培。
農薬は一切使用していません。
10,000坪の敷地に約2,500本のコーヒーの木を植え、年間1トン強のコーヒーチェリー、約150kgの生豆を収穫。
最初は300本から始まり、台風に悩まされながらも徐々に開墾地を広げてきました。
ハーブガーデンも併設し、60種類のハーブから好きなものを選んでオリジナルハーブティーを作る体験も提供。
コーヒーの森を散策しながらの収穫体験では、単なる畑ではなく、チョウなどの昆虫や野鳥、植物が生息する亜熱帯特有の森が広がっているのが魅力。
コーヒーの果肉を使用したカスカラティーや葉を使用したリーフティーなど、コーヒーの木のすべてを活用し、五感すべてで楽しめる癒しの空間を提供しています。
ADA FARM:日本初のスペシャルティコーヒー
国頭村安田のやんばるの森でADA FARMを営む徳田泰二郎・優子夫妻。
2008年からコーヒー農園を開始し、2016年にCoffee Quality Instituteの国際審査で84.67点を獲得。
『日本で初めてスペシャルティコーヒーの認定を受けた農園』として世界的に注目されています。
『日本は生産国として認知されていないから、本来は審査対象外。
それでも挑戦した』と徳田さん。
審査員は『コーヒーベルト外でこの品質は理論的にありえない』と驚嘆しました。
当初は業界関係者からあまり良い反応を得られませんでしたが、『なにくそー』の精神で品質向上に取り組み続けました。
『FARM THE FUTURE!(未来を耕せ!)』をテーマに、約8,000坪の畑が防風林によって小さく区切られたやんばる式農園の形を残し、ヤンバルクイナやノグチゲラなど多くの天然記念物が生息する環境で、森林農法的有機農法(JAS認定)を実践。
自然と共生しながらの栽培を続け、収穫した果実を生豆にまっすぐ詰め込むことを意識した精製により、世界が認める品質を実現しています。
Harmony Farm:有機栽培のこだわり
沖縄県やんばる東村にあるHarmony Farmでは、栽培から精製、焙煎までを一貫して手掛けています。
主に鶏糞・牛糞などの有機肥料を使用し、手間暇かけて育てた貴重な国産コーヒーを生産。
試行錯誤を繰り返し、コーヒーの木も約500本まで増やし、完熟した実を手摘みで収穫。
水に浮いた実は丁寧に取り除き、2~3日水に漬けて種子に付いた果肉層(ミューシレージ)を取り除くウォッシュドプロセスと、果肉層を取り除かずそのまま天日乾燥するナチュラルプロセスの両方を採用。
風通しの良い所で3週間~1か月程乾燥させ、乾燥が終わった豆に付いているパーチメントと呼ばれる薄い殻を脱穀機で取り除くなど、丁寧な精製過程を経て高品質なコーヒーを作り上げています。
外国産のコーヒーに比べると価格は高いものの、有機栽培にこだわり、一つ一つの工程を丁寧に行うことで、やんばるの自然が育んだ貴重な国産コーヒーの価値を高めています。
鹿児島県奄美群島:パイオニアたちの島
吉玉農園:1982年からの挑戦
鹿児島県徳之島の吉玉農園は、吉玉誠一さんが1982年から始めた日本産コーヒー栽培の先駆的農園です。
宮崎県出身の吉玉さんは、ブラジルの農業移住者への憧れを抱いていたが家族の反対で断念。
大阪の鉄工所で約20年働いた後、36歳で徳之島へ移住しサトウキビ刈りの仕事に就きました。
転機は休憩時間に見つけた1本のキャッサバ。
『キャッサバが育つんだったらこの島はなんでもできる』と確信し、1982年にコーヒー栽培を開始。
最初の4年間、海側では塩害、山側では冬の寒さで100本植えて生き残ったのは3本だけ。
台風被害で出稼ぎに行った時期もあったが、『血縁も何にもない島の人たちが自分の子どものようによくしてくれた。その人情の厚さに参った。それを裏切ったら俺は人間じゃねぇ』と、島への恩返しのため栽培を継続。
アラビカ種を中心に栽培、精製方法はウォッシュト。
2000年に生産者組合を発足、2009年に『徳之島コーヒー生産者会』として再編し、会長として約30名の会員と共に農薬・化学肥料を使わない栽培を実践。
奥様が経営する『自家焙煎珈琲スマイル』では、吉玉さんが網焼きで焙煎した農園のコーヒーを提供しています。
宮出珈琲園(宮出博史氏):台風全滅からの復活劇
宮出珈琲園の宮出博史氏は、大阪府出身で2007年から徳之島でコーヒー栽培を開始。
途中、2012年の台風被害により育てていたコーヒーの木2500本が全滅するという壊滅的な被害に遭いました。
『一夜にして5年分の努力が消えた。でも、島の人たちが『また一緒にやろう』と励ましてくれた』諦めずに再挑戦し、現在は2500本のコーヒーの木と共に暮らしています。
『コーヒーの木まるごと』をテーマに、従来は捨てられていた果実も活用する独自のアプローチを展開。
いのちが循環するアグロフォレストリーなコーヒー農園として、さまざまな果樹、草木、やぎや鶏が共存する森で、コーヒーの樹たちはゆっくりと成長しています。
2023年からは奄美群島をコーヒーの産地にするため、奄美大島芦花部地区での1万本の栽培プロジェクトを立ち上げ。
農業生産法人『うむい』と協力し、約40年前まで大島紬用の桑が植えられていた約11万平方メートルの段々畑で、将来的に『奄美群島全体で10万本』という壮大なビジョンを掲げています。
栄農園:奄美大島の有機栽培
奄美大島で有機栽培によるコーヒー苗木を生産する栄農園。
奄美大島の北部、空港から車で約10分の場所に店をかまえ、花の販売及びスターチス、トルコキキョウの栽培と並行してコーヒー栽培を行っています。
2021年で奄美産コーヒーへの再挑戦を続けて20年となり、農薬を使わない『安全・安心』なコーヒーづくりにこだわっています。
収穫時期や精製方法によって変化する『奄美珈琲』の風味を追求。
熊本のJaponic Coffee Farm 阿蘇に有機栽培苗木40本を提供するなど、技術力の高さで知られ、奄美群島のコーヒー栽培ネットワークの重要な一翼を担っています。
熊本・関東・岡山:新たなフロンティア
後藤コーヒーファーム(熊本県):元教師が挑む阿蘇の挑戦
熊本県南阿蘇村の後藤コーヒーファームは、元高校教師の後藤至成さんが2002年から始めた挑戦です。
阿蘇中央高校赴任時に生徒と共にコーヒー栽培を開始。
『阿蘇の冷涼な気候がアフリカのキリマンジャロに似ている』という発見から本格栽培へ。
『気温差が大きいほど甘いコーヒーになる。
阿蘇の寒さを味方につけた』と後藤さん。
阿蘇のコーヒーは12月から3月の冬の間が完熟期で、長い日数をかけて養分を貯め込むため、身がしまって甘いコーヒーができるという独自理論を展開。
2016年の熊本地震で自宅が全壊したが『自分が人生を掛けてきた農業で、阿蘇の地をもう一度元気にしたい』と決意。
2018年の退職後、本格的に農園を開設。
阿蘇の草原野草堆肥を使い、草原維持にも貢献する循環型農業を実践。
コーヒーの木のオーナー制度も展開し、2020年は56人のオーナーが付き、延べ300~400人が農園を訪れた。
『阿蘇珈琲』ブランドで地域活性化を目指しています。
Japonic Coffee Farm 阿蘇(熊本県):自然栽培への挑戦
2022年5月、熊本県南阿蘇村でJaponic Coffee Farm 阿蘇が日本初の自然栽培コーヒー園を開始。
『世界最高級のコーヒーを、日本から』をビジョンに、無農薬・無肥料・除草剤なしの自然栽培でコーヒー本来の味を最大限に引き出すことを目指しています。
自然栽培は『奇跡のリンゴ』で知られる木村秋則氏が提唱する農法。
土の微生物の力を活かし、作物本来の味や香りを楽しめる。
世界最大のカルデラである阿蘇山の火山性土壌と豊富な水、標高500m前後の寒暖差を活かし、ビニールハウスと組み合わせて最高気温25℃前後、最低気温11~12℃の環境を実現。
タンザニア出身で実家がコーヒー園を経営するオーガスト・バルタザリさんなど、複数の栽培経験者が参加。
世界的な品質審査制度『カップ・オブ・エクセレンス』での90点以上のスコア獲得、入賞を目標に掲げる野心的なプロジェクトです。
やまこうファーム(岡山県):本州初の快挙
2022年、やまこうファームが本州で初めて国産コーヒーの収穫に成功しました。
太陽光パネルを設置した温室栽培により年間を通じた安定生産を実現。
コーヒーは直射日光を嫌うため、太陽光パネルの遮光部分との相性が良いという発見から、ソーラー発電とコーヒー農園を組み合わせた革新的モデルを確立。
山本耕祐会長は2010年から栽培を開始したが、当初は実が全くつかず。
マイナス60度の人工的な氷河期を作り出し、1万個の種のうちわずか2~3個だけが発芽。
その親株を人工交配させ、耐寒性に優れた苗を開発。
栽培開始から10年目、最後のチャンスと決めた年に木にびっしりと実がついた。
大手日本酒メーカーから譲り受けた酵素と酵母を使い3日間発酵させ、日本酒の風味を持つ独自のコーヒーを開発。
初期投資1000万円の設備も、kg単価3万円により3年で回収可能という試算です。
『JAPAN COFFEE PROJECT』として、全国40カ所に協同開発農園を展開。
国産コーヒーの普及に努めています。
ヤチフォルニア農園公国(関東):関東初の挑戦
2023年3月に始動したヤチフォルニア農園公国は、関東初の国産コーヒー農園として注目を集めています。
『コーヒー苗オーナー様、生産者・就農者・事業者・消費者、国産コーヒーの普及に関わる全ての方を笑顔にしたい』をコンセプトに、新しい形のコーヒー栽培を実践中です。
運営するのは元大工で建設業を起業し、現在はドローン会社も経営する柳沢昭次さん。
2022年冬、やまこうファーム山本会長との出会いで国産コーヒーの存在を知り『絶対にできる!やってみせる!』という熱い思いで、構想から4か月で開園を実現。
第一農場と第二農場で2000本を超えるコーヒーの木を栽培。
希少価値が高いアラビカ種ティピカを無農薬で育成。
『成功事例がなく、事業者としてのスキルを試されるコーヒー農園は手探りで面白い』と柳沢さん。
年間6万円のオーナー制度は募集開始後すぐに完売。
2024年冬に初収穫を迎える。
注目の取り組みとプロジェクト
徳之島コーヒー生産支援プロジェクト:産学官連携の革新
2017年に開始されたAGF(味の素AGF)・丸紅・伊仙町・徳之島コーヒー生産者会による4者連携の支援プロジェクトは、日本産のコーヒー栽培の転換点となりました。
プロジェクトの革新的成果:
– **台風対策技術**:生分解性プランターと防風ネットで生存率を30%から80%へ向上
– **品種選定プログラム**:20種類の品種から徳之島の気候に最適な3種を特定
– **6次産業化支援**:精製・焙煎設備の提供で付加価値を10倍に
– **2万本の苗木配布**:30農家が参加し、栽培面積を5倍に拡大
徳之島コーヒー生産者会(吉玉誠一会長)の約30名の会員農家を中心に、台風被害対策や土壌改善、精選機設備不足などの課題を解決しながら、徳之島産コーヒーの生産を支援。
2022年にはAGFが『徳之島コーヒー』として限定販売を開始。
沖縄コーヒープロジェクト:産学官連携の大規模挑戦
2019年に開始された沖縄コーヒープロジェクトは、現代日本産のコーヒー栽培における最大規模の取り組みです。
ネスレ日本、元サッカー日本代表・高原直泰氏が率いる沖縄SV、琉球大学が産学官で連携し、現在沖縄県内20カ所でコーヒー栽培を展開。
県内の耕作放棄地を活用し、農業就業者の高齢化や後継者不足という課題解決を目指しています。
奄美群島コーヒー産地化プロジェクト:段階的な拡大構想
宮出珈琲園と農業生産法人『うむい』が推進する奄美大島芦花部地区でのコーヒー栽培プロジェクト。
約40年前まで大島紬用の桑が植えられていた約11万平方メートルの段々畑で、2023年から1万本の植え付けを開始。
宮出博史氏は将来的に『奄美群島全体で10万本』という壮大なビジョンを掲げ、奄美群島のコーヒー栽培モデル確立を目指しています。
鹿児島県産珈琲生産協会:技術共有ネットワーク
与論島、沖永良部島、喜界島、屋久島、鹿屋市など、鹿児島県内各地のコーヒー生産者をつなぐ協会組織。
各島の生産者間での技術共有と品質向上を推進し、鹿児島県全体のコーヒー栽培レベル向上に貢献しています。
日本産のコーヒー栽培が直面する課題と魅力
生産者が語る本当の困難
これらの挑戦者たちが共通して直面する課題は、想像以上に深刻です。
**台風被害の実態**
宮出珈琲園:『2012年の台風で2500本が全滅。保険もない。ただ泣くしかなかった』
徳之島生産者会:『年平均3回の台風で、毎年収穫の30-50%が被害を受ける』
**労働コストの現実**
– 日本:生産コストの70%が人件費(時給1000円×年間2000時間)
– ブラジル:生産コストの10%が人件費
– 収穫:完熟豆のみ手摘みで1日わずか10kg
**技術的課題**
IPCC報告書によれば、気候変動により2050年までに従来のコーヒーベルトは北緯28度まで北上。
鹿児島が栽培適地になる可能性がある一方、現在の産地では更なる高温化が懸念されています。
挑戦者たちが信じる国産コーヒーの価値
数々の困難を乗り越えながらも、彼らが情熱を注ぎ続けるのは、国産コーヒーにしかない特別な価値を信じているからです。
**世界が認めた品質**
– ADA FARM:84.67点(スペシャルティグレード、世界トップ5%)
– Perfect Daily Grind誌:『沖縄は気候変動時代の栽培モデル』
– Business Insider誌:『3万円のコーヒーが売れる理由』特集
**体験価値の創造**
沖縄の農園を訪れた観光客:『地元のおばあちゃんが山に向かって『いただきます』と頭を下げた。土地への感謝を込めて飲むコーヒーは、今まで飲んだどのコーヒーとも違う味がした』
**地域活性化への貢献**
– 沖縄:年間5000人の観光客が農園訪問
– 徳之島:若者のUターン就農が5年で10名増加
– 小笠原:コーヒーツアーが島の主要観光資源に
未来への可能性 —— 2050年への道筋
気候変動により従来のコーヒーベルトが北上している現在、日本の生産者たちの挑戦は単なる地域興しを超えた意味を持っています。
**具体的な展開予定**
– 2022年:岡山で本州初収穫成功(達成済)
– 2023年:AGF徳之島コーヒー全国販売開始
– 2025年:AGFブレンディ森林プロジェクト5倍拡大
– 2030年:国内生産量10トン目標(現在の2.5倍)
– 2050年:IPCC予測による鹿児島の栽培適地化
現在年間4トンという微々たる生産量ですが、技術の進歩と生産者の情熱により、日本が新たなコーヒー産地として世界に認知される日は、確実に近づいています。
日本産のコーヒーを味わえる場所
– 東京:Caffè Appassionato(東京駅前、小笠原コーヒー930円~)
– 沖縄:又吉コーヒー園、ADA FARM(要予約)
– 小笠原:野瀬農園、USK Coffee(船で24時間)
– 徳之島:Coffee Smile(吉玉氏の奥様の店)
日本産のコーヒー栽培は、まだ始まったばかり。
これからどんな新しい物語が生まれるのか、私たちも陰ながら応援していきたいと思います。