東アフリカに位置するタンザニア。
『キリマンジャロ』の名前で親しまれるこの国のコーヒーは、実は驚くほど多様な顔を持っています。
年間30,000~40,000トンを生産し、その75%を南部高地が占めるという意外な事実。
さらに西部では16世紀から続く独自のコーヒー文化が今も息づいています。
本記事では、日本で愛される『キリマンジャロ』ブランドの全貌と、知られざるタンザニアコーヒーの奥深い世界をご紹介します。
タンザニアコーヒーの基本情報
タンザニアは、アフリカ第4位のコーヒー生産国です。
年間約30,000~40,000トンのコーヒーを生産し、その約70%がアラビカ種、30%がロブスタ種となっています。
コーヒーはタンザニア経済の要であり、タバコに次ぐ第2位の農業輸出品です。
約450,000の小規模農家がコーヒー栽培に従事し、240万人以上の国民が直接的にコーヒー産業から生計を得ています。
輸出収入は年間約1億ドルに達し、全輸出額の約5%を占めています。
3つの主要コーヒー産地と特徴
タンザニアのコーヒー産地は、地理的に大きく3つの地域に分けられます。
それぞれが独自の気候条件と土壌を持ち、異なる個性のコーヒーを生み出しています。
南部高地 – 新たな主力産地
基本情報 | 詳細 |
主な州 | ムベヤ、ルブマ、ソンゲア |
生産品種 | アラビカ種(ブルボン、ケント系) |
標高 | 1,200-2,000m |
生産比率 | アラビカ生産の約75% |
特徴的な風味
- ミディアムボディで繊細な酸味
- ブラックチェリーとタンジェリンの果実風味
- チョコレート、モラセス、キャラメルの甘い底味
- シルキーな口当たりと穏やかな酸味
南部地域は1970年代から本格的な開発が始まった比較的新しい産地ですが、現在ではタンザニアコーヒーの主力となっています。
乾燥した気候条件により、カビや発酵の問題が少なく、安定した品質を実現しています。
北部高地 – 伝統のキリマンジャロ地域
基本情報 | 詳細 |
主な州 | キリマンジャロ、アルーシャ |
生産品種 | アラビカ種(ブルボン、ケント、N39、ティピカ) |
標高 | 1,400-1,800m |
生産比率 | アラビカ生産の約25% |
特徴的な風味
- 豊かな酸味とフルボディ
- 黒スグリ、レッドフルーツ、レモンの風味
- スイートチョコレート、バニラ、プラリネの底味
- 火山性土壌由来のミネラル感
キリマンジャロ山とメルー山の斜面で栽培される北部のコーヒーは、タンザニアコーヒーの代名詞として世界的に知られています。
火山性土壌と理想的な気候条件により、複雑で洗練された風味を生み出します。
⇒ 詳細はキリマンジャロ地域の専門記事をご参照ください
西部湖畔 – 独自のロブスタ文化
基本情報 | 詳細 |
主な州 | カゲラ(ビクトリア湖周辺) |
生産品種 | ロブスタ種(在来種) |
標高 | 1,200-1,400m |
生産比率 | 国内ロブスタ生産の大部分 |
特徴的な風味
- 軽煎り:柑橘系の風味とキャラメルのヒント
- 深煎り:スパイシーでチョコレートの香り
- 活気がありながら穏やかな酸味
- しっかりとしたボディ
16世紀から続く歴史を持つ西部のロブスタは、一般的なロブスタのイメージとは異なり、高品質で個性的な風味を持っています。
ハヤ族の伝統的な栽培方法が今も受け継がれており、独自のコーヒー文化を形成しています。
購入時に知っておきたい等級制度
タンザニアコーヒーを購入する際、『AA』『AB』『PB』などの表記を目にすることがあるでしょう。
これらは豆の等級を表す重要な指標です。
主要等級とその特徴
grade | スクリーンサイズ | 特徴 | 購入時のポイント |
AA | 17/18(6.7~7.1mm) | 最大級、複雑な風味 | 高価だが風味豊か |
A | 16(6.4mm)前後 | バランスの良い風味 | 品質と価格のバランス良好 |
AB | 15-16の混合 | 生産量の約40% | コストパフォーマンス良好 |
PB | – ピーベリー – | 濃縮された風味 | 希少性高く米国で人気 |
等級=味ではない?
等級が必ずしも味の優劣を決定するわけではないという事実も存在します。
実際の風味は産地、品種、精製方法、焙煎技術など多くの要因に左右され、ABがAAよりも優れたカップクオリティを示すことも少なくありません。
と、コーヒー産業界ではよく言われます。
しかし、やはり平均点でAAにかないません。
大きな豆は焙煎時の熱伝導が均一で、より多くの芳香成分を含みます。
クオリティがAAを上回るロットを、安く輸入できるネットワークがあるなら前述も意味を持ちますが、一般的にはグレードを信頼して問題はありません。
スペシャルティコーヒー市場に限っては、等級よりもカッピングスコアや風味プロファイルが重視されます。
PB(ピーベリー)
面白いのは『PB(ピーベリー)』。
通常のコーヒーチェリーには2つの種子が入っていますが、約5-10%の確率で1つしか入っていない場合があります。
この丸い形をした豆がピーベリーで、味が濃縮されているという説もあり、特に米国市場で人気があります。
日本市場での特別な地位 – なぜ『キリマンジャロ』なのか
日本人にとってのキリマンジャロ
コーヒーショップで『キリマン』と略されることも多いキリマンジャロコーヒー。
日本では『ブルーマウンテン』『ハワイコナ』と並ぶ高級ブランドとして認知されています。
しかし、なぜタンザニアコーヒーが『キリマンジャロ』という名前で親しまれるようになったのでしょうか。
ヘミングウェイ効果と日本独自の展開
1953年に公開された映画『キリマンジャロの雪』(アーネスト・ヘミングウェイ原作)の大ヒットが、日本でのキリマンジャロ人気の火付け役となりました。
映画が描いたアフリカ最高峰の神秘的なイメージと、上質なコーヒーの味わいが結びつき、『キリマンジャロ=高級コーヒー』というブランドイメージが確立されました。
当時、日本のコーヒー業界は特定銘柄によるブランド戦略を推進しており、『キリマンジャロは酸味が特徴』というキャッチコピーで販売されました。
このマーケティングが成功し、現在でも『キリマンジャロ=酸味のあるコーヒー』というイメージが定着しています。
1991年の歴史的決定
日本はタンザニアコーヒーの最大輸入国で、全輸出量の約22%を占めています。
1991年、全日本コーヒー公正取引協議会は画期的な決定を下しました。
タンザニアで生産されるすべてのアラビカ種コーヒー(ブコバ地区を除く)が『キリマンジャロコーヒー』の名称を使用できることを認めたのです。
さらに、30%以上のタンザニア産豆を含むブレンドも『キリマンジャロブレンド』として表示可能となりました。
この決定により、南部産も西部産も、すべて『キリマンジャロ』として日本市場で流通することになりました。
産地の多様性とブランドの統一
この規約により、実際にはキリマンジャロ山から遠く離れた南部のムベヤやルブマで生産されたコーヒーも『キリマンジャロ』として販売されています。
産地の多様性は隠れてしまいましたが、強力なブランドイメージの確立には成功し、タンザニアのコーヒー農家にとって安定した輸出市場を確保することができました。
現在では『KIBO(キボー)』という名称も使われるようになっています。
これはキリマンジャロ山の最高峰の名前で、より高品質なイメージを訴求する新たなブランディングの試みです。
16世紀から続くコーヒー文化の源流
ハヤ族とロブスタコーヒー
タンザニアとコーヒーの歴史は16世紀まで遡ります。
口承によると、北西部カゲラ地域のハヤ族は、現在のエチオピアにあたるアビシニアからコーヒーを持ち帰ったとされています。
彼らが『アムワニ』と呼んだこのロブスタ種のコーヒーは、飲み物としてではなく、まったく異なる方法で利用されていました。
ハヤ族は未熟なチェリーをハーブと共に煮て、その混合物を数日間燻製にし、できあがったものを丸ごと噛んで刺激物として使用していたのです。
コーヒーはハヤ文化において、日常的な消費というよりも文化的機能を果たしていました。
正式な挨拶、王族への貢物、宗教的儀式にアムワニが含まれ、コーヒー栽培には王族の許可が必要でした。
この厳格な管理により、供給が制限され、コーヒーの価値と地位が高められていたのです。
コーヒー産業の発展と試練の歴史
1890年代-1961年
植民地時代の産業基盤形成
ドイツ植民地時代(1890年代後半-1919)
19世紀後半にドイツが東アフリカを支配すると、植民地政府は地域全体にコーヒー栽培を広める法律を速やかに制定しました。
これらの法律は、ハヤ族を現金経済に参加させ、独立性を弱め、統治しやすくすることを意図していました。
1911年、ドイツ植民地政府はブコバ地域全体にアラビカ種の栽培を義務付けました。
それまで独占的にコーヒーを管理していたハヤ族は富を失い、1905年から1912年の間にタンザニアのコーヒー輸出は約3倍に増加しました。
イギリス植民地時代(1919-1961)
第一次世界大戦後、イギリスがタンガニーカ(現タンザニア本土)を引き継ぎ、コーヒー栽培の近代化を図りました。
しかし、ハヤ族からの抵抗は続き、北西部のコーヒー生産は停滞しました。
対照的に、コーヒー栽培の伝統を持たなかった北部のチャガ族は積極的にこの新しい換金作物を受け入れ、1925年には6,000トン(120万ドル相当)を輸出するまでに成長しました。
同年、キリマンジャロ先住民栽培者協会(KNPA)が設立され、これはタンザニアで最初のコーヒー協同組合となりました。
1961-1990年代
独立後の社会主義政策とコーヒー産業への影響
ウジャマー政策の導入(1967年)
1961年の独立後、初代大統領ジュリウス・ニエレレは1967年1月末に『アルーシャ宣言』を発表し(2月5日に正式公表)、『ウジャマー(スワヒリ語で、家族)』と呼ばれる社会主義政策を本格的に推進しました。
この政策は、アフリカの伝統的な共同体価値観に基づいた新しい経済秩序を確立することを目指していました。
政策の核心は、分散していた農村人口を集団村(ウジャマー村)に移住させ、共同農業を行うことでした。
ヴィジジ作戦とコーヒー生産への影響(1973-1975)
ウジャマー政策の総仕上げとして、1973年から実施された『ヴィジジ作戦』(スワヒリ語で、村々作戦)は、分散して暮らしていた農民1000万人以上を政府指定の集団村へ強制移住させる計画でした。
この政策がコーヒー生産に与えた影響は深刻でした。
- 伝統的な栽培地から切り離され、多くの農園が放棄された
- コーヒーの木の管理が困難になり、生産量が大幅に減少
- 1970年代を通じて、コーヒー産業は低迷を続けた
1977年には、すべてのコーヒー協同組合が解散され、政府直轄のタンザニアコーヒー局が設立されました。
しかし、中央集権的な管理システムは非効率で、1980年代まで生産は停滞し続けました。
1980年代-現在
市場自由化と現代への転換
ウジャマー政策は1970年代後半には経済的失敗が明らかになり、1985年のニエレレ大統領退任とともに終焉を迎えました。
後継のアリ・ハッサン・ムウィニ政権は政策を180度転換し、市場経済への移行を開始しました。
1990年代初頭の改革により産業が民営化され、システムの効率が劇的に向上しました。
タンザニアコーヒー委員会(TCB)が再設立され、2000年にはタンザニアコーヒー研究所(TaCRI)も設立されました。
これらの改革により、農家は再び自由に取引できるようになり、品質向上への投資が促進されています。
精製方法の進化と品質向上への取り組み
伝統的なウォッシュドと新たな精製方法
タンザニアでは主にウォッシュド(水洗式)精製が採用されています。
この方法により、クリーンで明るい酸味と透明感のある味わいが生まれます。
近年、南部地域を中心に新しい精製方法も導入されています。
- ナチュラル精製:2020年、南部の2つの協同組合がスペシャルティナチュラルの生産を開始。
南部の乾燥した気候条件は高品質なナチュラル精製に理想的 - ハニープロセス:若い生産者を中心に実験的に導入
- 嫌気性発酵:付加価値の高い製品開発として注目
水不足が深刻な南部地域では、ナチュラル精製は水資源の節約にもつながり、環境面でもメリットがあります。
直接取引の拡大
1990年代初頭の改革により産業が民営化され、システムの効率が劇的に向上しました。
タンザニアコーヒー委員会は許可証とライセンスを発行するために再設立され、コーヒーの栽培と販売は完全に独立しました。
現在、農家が製品を販売する方法は主に3つあります。
- 内部市場:農家が直接私的コーヒーバイヤー、村のグループ、またはコーヒー協同組合に、農家が決めた価格で販売
- モシコーヒーオークション:集荷した豆をオークションで競売
- 直接輸出:トップグレードの生産者は外国のロースターに直接販売通常リスト
この制度により、農家と国際バイヤーが長期的な関係を構築できるようになり、品質向上への投資が促進されています。
2019/20年には、主要企業がタンザニア最大のアラビカコーヒー直接購入者となり、オークション価格を大きく上回る取引が実現しました。
新たに発見された野生種と研究開発
東アーク山脈の宝物
最近、タンザニアの東アーク山脈で2つの新しいコーヒー種が発見されました。
- Coffea bridsoniae
- Coffea kihansiensis
これらの発見は、タンザニアがまだ未知のコーヒー遺伝資源を保有していることを示しています。
気候変動により2050年までに現在のコーヒー栽培地の50%が栽培不適地になるという予測がある中、これらの野生種は将来のコーヒー産業にとって貴重な遺伝資源となる可能性があります。
タンザニアコーヒー研究所(TaCRI)
2000年に設立されたタンザニアコーヒー研究所は、国内のコーヒー産業活性化を目指しています。
研究所では以下の取り組みを行っています。
- 病害虫に強い新品種の開発
- コンパクトで収穫しやすい品種の育成
- 気候変動適応品種の研究
- 農家への技術指導と教育プログラム
特に注目されているのは、SC 9、SC 11、SC 14、KP 423などの新品種で、これらは従来品種より収穫量が多く、病害虫への耐性も高いとされています。
若い世代による変革
世代交代の課題と地域差
タンザニアのコーヒー農家の平均年齢は約55歳ですが、地域により大きな差があります。
南部高地では、より多くの若い生産者を見つけることができ、新技術への積極的な取り組みが見られます。
対照的に、北部高地では伝統的な土地所有制度により、若者の都市部への流出が深刻化しています。
コミューナル・シャンバ・コーヒーのディレクターであるケレンバ・ブライアン・ワリオバ氏は、『南部の農家はより若く、エネルギッシュです。
北部とは対照的です』と述べています。
新世代の取り組み
若い農家たちは、伝統を尊重しながら革新を進めています。
SNSを活用した情報共有により、新しい栽培技術や市場情報が瞬時に共有されるようになりました。
実験的精製方法への挑戦も活発で、嫌気性発酵やハニープロセスなど、付加価値の高い製品開発に取り組んでいます。
農園ツーリズムも新たな収入源として注目されています。
訪問者は地元の農園を訪れ、コーヒー生産について学び、コーヒー収穫に参加することもできます。
多くの農園はコーヒー作りのワークショップを提供し、様々な抽出技術を学び、最も新鮮なコーヒーを味わうことができます。
品質重視の小ロット生産により、一般的な商品コーヒーとは一線を画す、個性豊かなスペシャルティコーヒーを生み出しています。
これらの若い生産者たちは、量より質を重視し、カップクオリティの向上に情熱を注いでいます。
気候変動への適応戦略
産地のシフトと新たな可能性
気候変動により、コーヒー栽培適地が変化しています。
北部の伝統的な高品質地域の多くは、都市化と土地圧力と相まって縮小しています。
一方で、南部の知名度の低い地域が台頭し、ギャップを埋めています。
研究によると、キリマンジャロ地域では、最低気温の平均と長雨・短雨期間中の最低気温の平均と生産されたコーヒーの量との間に有意な負の関係が示されました。
これは、温度上昇がコーヒー生産に悪影響を与えていることを示しています。
持続可能な農業への転換
持続可能な農業への転換が進んでいます。
約800の農家がレインフォレスト・アライアンス(RFA)認証を取得し、2020年末までに約1,200農家に拡大されました。
認証により得られる主なメリットは以下の通りです。
- 約350トンの認証コーヒーがオークション価格を大幅に上回る価格で直接購入
- 環境に配慮した栽培方法の導入
- 農家の収入向上と生活の安定
有機栽培への移行も進んでおり、化学肥料や農薬を使用しない栽培方法が広まっています。
フェアトレード認証による収入向上も、農家の持続可能性を高める重要な要素となっています。
スペシャルティコーヒー市場における位置づけ
タンザニアコーヒーは、スペシャルティコーヒー市場において独特なポジションを占めています。
エチオピアやケニアといった隣国が脚光を浴びる中、タンザニアは『第二集団』に甘んじてきましたが、その潜在能力は決して劣るものではありません。
なぜ潜在能力を発揮できないのか
Coffee Reviewの評価によると、タンザニアには優れたテロワールと伝統的なブルボン系品種があるにもかかわらず、スペシャルティ市場での存在感が限定的です。
その主な理由は、1964年から1992年まで続いた社会主義政権下での不安定な政策にあります。
1976年には協同組合が違法化され、ケニアで成功したオークションシステムも機能しませんでした。
品質評価システムの課題
タンザニアの品質分類システムは、SCAスコアで86点以上を獲得できる高品質豆を生産していますが、協同組合での混合処理により個々の農家の努力が報われにくい構造があります。
優れた品質の豆も他の豆と混ぜられることで、全体の評価が下がってしまうのです。
タンザニアの明るい兆し
しかし、状況は改善しつつあります。
南部高地を中心に、若い生産者たちが直接取引やマイクロロット生産に取り組み、国際的な評価を高めています。
タンザニアコーヒー研究所(TaCRI)も品質向上に貢献し、2025年までに生産量の70%をスペシャルティグレードにする目標を掲げています。
『タンザニアピーベリー』というユニークなブランドも、スペシャルティ市場での差別化要因となっています。
世界中でピーベリーは生産されますが、なぜかタンザニアだけが特別な関連性を持ち、プレミアム価格で取引されています。
適切な支援と市場アクセスがあれば、タンザニアは間違いなくアフリカのスペシャルティコーヒー大国の仲間入りを果たせるでしょう。
タンザニアコーヒーの未来
2024/25年の明るい見通し
最新のUSDA外国農業サービスの報告によると、2024/25市場年度のタンザニアの緑豆生産量は約7%増加し、約150万袋相当になると予測されています。
この増加は、老朽化した農園の成功的な復旧と、EUなどの主要バイヤーからの着実な需要に起因しています。
タンザニアの緑豆輸出は131万袋(60キロ袋)に達すると推定され、2023/24年の127万袋から増加します。
主な輸出先はEU(59%)、日本(22%)、米国(12%)の順で、日本は引き続き重要な市場となっています。
多様性という強み
タンザニアコーヒーの最大の強みは、その多様性にあります。
火山性土壌の北部と非火山性土壌の南部、16世紀から続く西部のロブスタ文化、そして新たに発見される野生種。
この多様性により、気候変動や市場の変化に対する適応力が高く、持続可能な発展が期待されています。
新たな戦略と展望
タンザニアコーヒー委員会は2025/26年までに年間生産量を30万トンに引き上げる野心的な目標を掲げています。
この目標達成のため、以下の戦略が進められています。
- 高品質コーヒーの比率を70%まで引き上げ
- 若い世代の参入促進と技術移転
- 直接取引の更なる拡大
- 持続可能な農業への完全移行
国の輸出の大部分は他国のブランドとブレンドされ、国際市場で『タンザニア』の名前が失われがちですが、日本市場での『キリマンジャロ』ブランドの成功は、適切なマーケティングの重要性を示しています。
この成功モデルを他市場にも展開することが、今後の課題となっています。
Coffee Navi タンザニアコーヒーの新時代へ
タンザニアコーヒーは、『キリマンジャロ』という名前で日本人に愛されてきました。
しかし、その実態は想像以上に多様で奥深いものです。
3つの産地がもたらす個性
- 南部高地(75%):チョコレートのような甘みと穏やかな酸味
- 北部高地(25%):火山性土壌による複雑で豊かな風味
- 西部湖畔:16世紀から続く独自のロブスタ文化
植民地時代の遺産、独立後のウジャマー政策による苦難を乗り越え、若い世代が新たな価値を創造しています。
革新的な精製方法、直接取引の拡大、そして気候変動への適応。
タンザニアコーヒーは今、まさに転換期を迎えています。
次にコーヒーを選ぶ際は、その産地の多様性と、生産者たちの挑戦の物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
独自の等級制度により、それぞれの個性を楽しむことができるタンザニアコーヒー。
東アフリカの大地が育む、新たなコーヒーの時代がそこにあります。