『コーヒーは毒だ ── 』それを信じていた国王が、かつてスウェーデンにいました。
18世紀の王グスタフ3世は、コーヒーの健康被害を疑い、ある日“奇妙な実験”を始めます。
対象となったのは双子の死刑囚2名。
一人には紅茶を、もう一人にはコーヒーを飲ませ続け、どちらが早く命を落とすかを観察するというものでした。
スウェーデン国王グスタフ3世のコーヒー人体実験
18世紀スウェーデンでは、コーヒーは危険な飲み物とされていました。
異国から来た黒い飲み物は、薬のような苦味と強い香りで得体のしれない不安を助長させました。
スエーデン国王グスタフ3世は、この黒い液体の有害性を人体実験を試みます。
実験台に選ばれたのは、死刑判決を受けた双子の囚人でした。
グスタフ3世は彼らに終身刑への減刑を提案します。
条件はひとつ。
一人は毎日コーヒーを3壺、もう一人は同じ量の紅茶を、死ぬまで飲み続けること。
2人の医師が健康状態を監視し、どちらが先に命を落とすか観察することになりました。
グスタフ3世は、コーヒーを飲む囚人が早死にすると確信していたのです。
ところが ──
1792年3月16日、ストックホルムの王立オペラハウス。
華やかな仮面舞踏会の最中、グスタフ3世は背後から撃たれました。
犯人は、国王の政策に反発する貴族の一人でした。
13日後、グスタフ3世は46歳で息を引き取ります。
実験の結果を知ることなく。
では、コーヒーと紅茶を飲み続けた囚人たちはどうなったのでしょうか。
紅茶を飲んでいた男は83歳で亡くなりました。
当時のスウェーデン人の平均寿命が38歳だった時代に、その2倍以上も生きたのです。
コーヒーを飲んでいた男については、監視役の医師たちも先に死んでしまい、死亡時期すら記録が残っていません。
グスタフ3世が証明しようとした『コーヒーの毒性』。
その答えを知ることができたのは、実験台にされた囚人たちだけでした。
なぜグスタフ3世はコーヒーを危険視したのか
グスタフ3世がコーヒーを問題視した背景には、当時のスウェーデンが置かれた状況がありました。
1746年、父王アドルフ・フレドリクは『茶とコーヒーの誤用と過度な飲用』を理由に規制令を発布しています。
コーヒーを飲む者には重税が課され、税金を払わなければカップや皿まで没収されました。
経済的な懸念も大きかったのです。
植民地を持たないスウェーデンにとって、コーヒーの輸入は国富の流出を意味しました。
さらに、コーヒーハウスは政治的な議論の場となり、反体制派の温床と見なされていたのです。
医学的にも、1715年にフランスの医師が書いた論文が、茶とコーヒーに含まれる成分(後のカフェイン)の危険性を指摘していました。
グスタフ3世と父王は、この論文に強く影響を受けていたとされています。
5回の禁止令、そして地下に潜ったコーヒー
スウェーデンでは1756年から1823年まで、実に5回もコーヒーが禁止されました。
1756-1761年、1766-1769年、1794-1796年、1799-1802年、1817-1823年
しかし禁止すればするほど、人々の渇望は強まりました。
『コーヒーギルド』と呼ばれる地下組織が生まれ、密売が横行します。
警察は『コーヒー強制捜査』に追われ、密売人の摘発に奔走しました。
ストックホルムの警察記録には、1794年から1802年の間だけで536件のコーヒー関連犯罪が記録されています。
摘発された多くは貧しい女性たちでした。
ある女性密売人マリア・キエンペは、『極貧から逃れる唯一の手段だった』と供述しています。
1794年の禁止令に対しては、市民が『コーヒーポットの葬式』を行って抗議しました。
コーヒーポットを棺に入れ、葬送曲を奏でながら街を練り歩いたのです。
グスタフ3世の暗殺の夜
1792年3月16日、グスタフ3世は匿名の警告状を受け取りました。
『今夜のオペラには行くな』
グスタフ3世はこれを無視し、仮面舞踏会に出席します。
マスクをつけていても、胸のセラフィム勲章の星章でグスタフ3世だとすぐに分かりました。
暗殺者ヤコブ・ヨハン・アンカーストレムは、グスタフ3世の背後から引き金を引きました。
弾丸には2発の鉛玉、6本の曲がった鋲、数個の散弾が込められていました。
興味深いことに、4年前、霊媒師ウルリカ・アルフヴィドソンがグスタフ3世の暗殺を予言していたという記録が残っています。
真偽のほどは定かではありませんが、王室には多くの情報提供者がいたことは確かでした。
実験は本当にあったのか
実は、この双子の実験については、その真実性が疑問視されています。
英語での最古の記録は1937年の科学雑誌『Science News-Letter』です。
情報源とされるスウェーデンの植物学者ブロール・エリック・ダールグレンの原典は、いまだに見つかっていません。
しかし、実験の真偽よりも重要なのは、この話が語り継がれてきた事実でしょう。
18世紀のスウェーデンが、コーヒーという飲み物をどれほど恐れ、規制しようとしたか。
その象徴的なエピソードとして、今も記憶されているのです。
スウェーデンは世界有数のコーヒー大国へ
1823年、最後の禁止令が解除されました。
それから200年。
現在のスウェーデンは、一人あたり年間7.6キログラムのコーヒーを消費する、世界トップクラスのコーヒー大国です。
『フィーカ』と呼ばれるコーヒーブレイクは、スウェーデンの文化として定着しました。
職場でも家庭でも、1日2回のフィーカは欠かせません。
コーヒーとシナモンロールを囲んで、同僚や友人と語らう時間。
それは単なる休憩ではなく、人間関係を築く大切な社会習慣となっています。
グスタフ3世が今のスウェーデンを見たら、どう思うでしょうか。
グスタフ3世が恐れたコーヒーは、毒にはなりませんでした。
むしろ、スウェーデン人の生活に欠かせない、幸せの源となったのです。