ニューヨーク、マンハッタン。
スターバックスの店内で、ある男性が26ドルのエチオピア産シダモコーヒーを注文しています。
その同じ瞬間、8,000キロ離れたエチオピアの農村で、コーヒー農家のアベベは1日の労働を終えようとしていました。
彼が受け取る日当は、わずか60セント。
この残酷なコントラストが、2006年に世界を揺るがす商標戦争の火種となったのです。
第1章:エチオピアの反撃
『もう黙ってはいられない』
2005年3月、エチオピア政府は前代未聞の挑戦に打って出ました。
イルガチェフェ(Yirgacheffe)、ハラール(Harrar/Harar)、シダモ(Sidamo) ―― 世界中のコーヒー愛好家が憧れる3つの産地名を、米国で商標登録するという野心的な計画です。
『私たちのコーヒーは『エチオピアのシャンパン』と呼ばれているのに、なぜフランスのシャンパーニュ地方のように、その名前を守れないのでしょうか?』
エチオピア知的財産庁のゲタフン・メンギスティ局長は、静かな怒りを込めてそう語りました。
8800万ドルの夢
もし商標が認められれば、エチオピアのコーヒー産業は年間8800万ドルの追加収入を得られる ―― この試算は、国民の4分の1が1日1ドル以下で生活する最貧国にとって、まさに希望の光でした。
『コーヒーショップでは私たちの豆が1ポンド26ドルで売られています。でも農家の手元に残るのは60セントから1ドル10セント。これは正義でしょうか?』
オロミアコーヒー農家協同組合のタデッセ・メスケラ氏は、国際社会に問いかけました。
第2章:巨人の逆襲
スターバックスの『NO』
2006年、事態は急転しました。
全米コーヒー協会(NCA)が、ハラールとシダモの商標申請に異議を申し立てたのです。
そしてメディアは、NCAの主要メンバーであるスターバックスこそが、この反対運動の黒幕だと報じました。
年商60億ドルの巨大企業が、世界最貧国の商標申請を妨害 ―― このニュースは瞬く間に世界中を駆け巡りました。
『農家のため』という詭弁
スターバックスの主張は巧妙でした。
『商標化は法的な複雑さを生み、結果的に農家を害することになります』
『我々は地理的表示の認証システムの確立を支援する用意があります』
しかし、エチオピア側は即座に反論しました。
『400万の小規模農家に認証システムを導入する?それは机上の空論です。商標こそが、私たちが自らの運命をコントロールできる唯一の道なのです』
第3章:世界が見ていた
オックスファムの宣戦布告
2006年10月、国際NGOオックスファムが動きました。
『スターバックスよ、恥を知れ!』
激しいキャンペーンが始まりました。
街頭デモ、署名活動、ソーシャルメディアでの拡散。
瞬く間に93,000人が、スターバックスへの抗議書に署名したのです。
映画が暴いた真実
追い打ちをかけたのは、ドキュメンタリー映画『ブラック・ゴールド』でした。
カメラは、エチオピアの農家の過酷な現実を容赦なく映し出します。
朝から晩まで働いても、子供を学校に送れない。
病気になっても医者にかかれない。
一方で、スターバックスの店内では、バリスタが優雅にラテアートを描いています。
このコントラストは、見る者の良心を激しく揺さぶりました。
学者たちの反乱
オックスフォード大学の研究者たちも立ち上がりました。
『スターバックスは偽善者です。『企業の社会的責任』を謳いながら、実際には最も弱い立場の人々から搾取しています』
辛辣な批判論文が、世界中の新聞に転載されました。
第4章:プライドと現実の狭間で
ブランドイメージの崩壊
『最も倫理的なコーヒー企業』 ―― それがスターバックスの誇りでした。
しかし今や、そのイメージは地に堕ちようとしていました。
不買運動の声が高まります。
株価への影響を懸念する声も出始めました。
取締役会は、緊急対策を迫られたのです。
CEOの賭け
2007年初頭、スターバックスCEOジム・ドナルド氏は決断を下しました。
『私がエチオピアに行く』
アディスアベバ空港に降り立ったドナルド氏を、エチオピアのメレス・ゼナウィ首相が出迎えました。
両者の表情は硬い。
世界中のメディアが、この歴史的会談の行方を見守っていました。
第5章:歴史的和解
白旗を掲げた巨人
2007年5月、ついに歴史的瞬間が訪れました。
スターバックスは、商標登録の成否にかかわらず、イルガチェフェ、ハラール、シダモの名前をエチオピアが所有することを認める契約に署名したのです。
『これは単なるビジネスの合意ではありません。これは正義の勝利です』
エチオピア政府の代表は、感極まった様子でそう語りました。
ハワード・シュルツの懺悔
同年12月、今度はスターバックス会長のハワード・シュルツ氏自らがエチオピアを訪問しました。
そして驚くべき発表を行ったのです。
『過去4年間で、我々はエチオピアコーヒーの購入を400%増加させました。そして今後2年間で、その量をさらに倍増させます』
さらにシュルツ氏は、エチオピアに農家支援センターを設立すると約束しました。
これは明らかに、過去の過ちへの償いでした。
エピローグ:小さな勝利、大きな意味
価格差は埋まったか?
商標争いから15年以上が経過した今も、農家が受け取る金額と店頭価格の差は完全には埋まっていません。
しかし、エチオピアの挑戦は確実に何かを変えました。
イルガチェフェ、ハラール、シダモ ―― これらの名前は今や、単なる産地名ではなく、品質を保証するブランドとして世界中で認識されています。
農家たちは以前より良い価格で豆を売ることができるようになりました。
世界への教訓
この商標戦争が残した最大の遺産は、『産地には自らの名前を守る権利がある』という認識を世界に広めたことでしょう。
フランスのシャンパーニュ、イタリアのパルミジャーノ・レッジャーノと同じように、エチオピアのコーヒー産地も、その名前に込められた価値を主張する権利があるのです。
26ドルと60セントの差は、まだ完全には埋まっていません。
しかし、エチオピアとスターバックスの戦いは、その差を埋めるための重要な一歩となりました。