ニューヨーク、マンハッタン。
スターバックスの店内で、ある男性が26ドルのエチオピア産シダモコーヒーを注文しています。
その同じ瞬間、8,000キロ離れたエチオピアの農村で、コーヒー農家のアベベは1日の労働を終えようとしていました。
彼が受け取る日当は、わずか60セント。
エチオピアの知的財産戦略
Light Years IPによる戦略設計
2003年から2004年にかけて、エチオピア政府は画期的な決断を下しました。
ニュージーランド出身の知的財産専門家ロン・レイトン氏が率いるライトイヤーズIP(Light Years IP)と協働し、コーヒー産地名の商標化という前例のない戦略を採用したのです。
レイトン氏の分析は明快でした。
『私たちのコーヒーは「エチオピアのシャンパン」と呼ばれているのに、なぜフランスのシャンパーニュ地方のように、その名前を守れないのか?』
『エチオピアコーヒーには「インヒアレント・バリュー(inherent value、内在的価値)」がある。これは付加価値ではない。元々そこにある価値を、知的財産権によって可視化し、農家の手に取り戻すことだ』
この戦略の核心は、地理的表示(GI)や認証マークではなく、あえて商標(トレードマーク)を選択したことにありました。
400万農家に認証システムが機能しない理由
エチオピア知的財産庁(EIPO)のゲタチュー・メンギスティ局長は、商標選択の理由を次のように説明しています。
『エチオピアには400万の小規模コーヒー農家がいる。それぞれが平均0.5ヘクタール未満の土地で栽培している。各農家に認証プロセスを適用することは、コスト的にも管理的にも不可能だ』
実際、認証マークの場合、各農家が生産するコーヒーのバッグごとに認証が必要となります。
一方、商標であれば、エチオピア政府が一元的に管理し、ライセンス契約を通じて品質と価格をコントロールできるのです。
さらに重要なのは、商標化により『シダモ』『イルガチェフェ』『ハラール』という名称を、単なる地域名から、品質を保証するブランドへと転換できることでした。
これにより、シダモ地域外で栽培されたとしても、同じ品質基準を満たせば『シダモコーヒー』として販売可能になるという柔軟性も確保できたのです。
Shirkina 問題:スターバックスとの攻防
2004年6月:スターバックス特許申請
あまり知られていない事実ですが、スターバックスは2004年6月8日、エチオピアが動き出す9か月前に『シルキナ・サンドライド・シダモ(Shirkina Sun-Dried Sidamo)』の商標を米国特許商標庁(USPTO)に申請していました。
これは法的に完全に正当な行為でした。
このシルキナプロジェクトは、2002年にスターバックスがフェロ農民協同組合と共同で開始した実験的な取り組みでした。
通常の水洗処理ではなく、完熟したチェリーをそのまま天日乾燥させる伝統的な手法を、最高品質の豆に適用するという革新的な試みでした。
スターバックスのコーヒー調達担当上級副社長ダブ・ヘイ氏は後にこう語っています。
『最初の年は完全な失敗だった。4万ポンドのコーヒーを買い取ったが、全て廃棄せざるを得なかった。しかし2年目、完璧に熟した豆だけを使うことで、これまで味わったことのない独特の風味が生まれた』
つまりスターバックスは、農民と共にリスクを取り、投資を行い、新しい付加価値を生み出した成果に対して、正当に知的財産権を申請したのです。
🔍 シルキナ(Shirkina)とは
『シルキナ』とはエチオピアの現地語で『パートナーシップ』を意味し、スターバックスと農民協同組合の協力関係を象徴する名前として選ばれました。
2005年3月:エチオピアの商標申請と衝突
2005年3月17日、エチオピアが『Sidamo』の商標を申請。
しかしUSPTOは、スターバックスの先行申請と『実質的に同一または紛らわしいほど類似』として、エチオピアの申請を保留としました。
エチオピアのカッサフン・アイェレ駐米大使(当時)は、スターバックスを世界的企業に育てた創業者で当時会長のハワード・シュルツ氏宛に、国家間の重要問題として解決を求める公式書簡を送りました。
しかし1か月以上返答はなく、最終的に届いたのは会長本人からではなく法務部門からの事務的な拒否通知でした。
さらに侮辱的だったのは、その後届いた『シュルツ氏の表彰イベントへの招待状』でした。
重要な知的財産問題を提起している国の大使に対し、『600ドルの寄付をすれば表彰イベントに参加できる』という一般向けの有料招待状を送りつけたのです。
この外交儀礼を無視した対応が、単なる商標の技術的問題だった案件を、国家の尊厳をかけた戦いへと変質させました。
エチオピア政府は『対話による解決』を断念し、法的手段に訴えることを決意したのです。
2006年7月:世界的圧力とスターバックス撤退
2006年6月22日、エチオピア政府はUSPTOの商標審判部に正式な異議申し立てを行いました。
しかし、スターバックスを動かしたのは法的手続きではなく、急速に拡大する国際的な批判でした。
問題の発端は、2006年10月に国際貧困撲滅NGOのオックスファム(Oxfam)が開始した『メイク・トレード・フェア(Make Trade Fair)』キャンペーンでした。
オックスファムは、ライトイヤーズIPを通じてエチオピアの商標戦略を支援しており、スターバックスの妨害行為を『貧困層からの搾取』として糾弾しました。
キャンペーンは瞬く間に拡大しました。
わずか2か月で9万3000人が抗議書に署名。
同時期に公開されたドキュメンタリー映画『おいしいコーヒーの真実(英題:Black Gold)』は、エチオピア農家の過酷な現実とスターバックス店舗の豊かさを対比させ、世界中の観客に衝撃を与えました。
メディアは一斉に『年商60億ドルの巨大企業が、世界最貧国の商標申請を妨害』と報じました。
オックスフォード大学の研究者グループも批判論文を発表し、『企業の社会的責任を謳いながら、最も弱い立場の人々から搾取している』と断じました。
スターバックスにとって決定的だったのは、この批判が同社の核心的価値を直撃したことです。
『最も倫理的なコーヒー企業』というブランドアイデンティティで差別化を図っていた同社にとって、『搾取企業』のレッテルは致命的でした。
各国の店舗前でデモが発生し、不買運動の声が高まる中、株主からも対応を求める声が上がり始めました。
2006年7月5日、異議申し立てからわずか2週間後、スターバックスは『シルキナ・サンドライド・シダモ』の商標申請を自主的に放棄すると発表しました。
法的には争う余地があったにも関わらず、ブランド価値の毀損を食い止めることを優先したのです。
しかし、これで問題が解決したわけではありませんでした。
全米コーヒー協会(NCA)が新たな反対勢力として立ちはだかることになるのです。
見えない敵:全米コーヒー協会の組織的抵抗
全米コーヒー協会(NCA)の組織的反対
スターバックスが商標申請を放棄した後も、戦いは終わりませんでした。
全米コーヒー協会(NCA)が、ハラールとシダモの商標登録に対して正式な異議申し立てを行ったのです。
NCAの主張は『これらの名称はコーヒーの一般的な種類を示すものとなっており、商標登録の資格がない』というものでした。
興味深いことに、NCAの政府関係委員会の委員長はスターバックスの幹部が務めていました。
NCA会長のロバート・ネルソン氏は後に、『スターバックスがこの問題を我々の注意に向けさせた』と認めています。
エチオピアが申請してから1年間何も行動を起こさなかったNCAが、なぜ突然動いたのか。
その答えは明白でした。
USPTOでの逆転劇
エチオピアは諦めませんでした。
Arnold & Porter法律事務所の無償支援を受け、『ハラール』と『シダモ』が獲得した識別性(アクワイアード・ディスティンクティブネス(acquired distinctiveness))を証明する大量の証拠を提出しました。
2006年8月、USPTOはハラールに関する再審査でエチオピアの主張を認めました。
そして2008年2月、最も重要なシダモの商標も遂に登録が認められたのです。
イルガチェフェは最初から問題なく登録されており、エチオピアは3つの主要産地名すべての商標を米国で確保することに成功しました。
スターバックスの正当性と問題点
スターバックスは悪者か?
スターバックスの正当性
● 2004年6月に「シルキナ・サンドライド・シダモ」を先に申請(法的に正当)
● 2002年から農民協同組合と共同開発(実際に投資とリスクを負った)
● 初年度の失敗で4万ポンドを買い取って廃棄(農家を守った)
● 『シルキナ=パートナーシップ』という名前(協力の意思表示)
スターバックスの問題点
● エチオピア大使からの公式書簡を1か月以上無視
● 法務部門からの事務的拒否と、600ドル寄付イベントへの招待という侮辱的対応
● 『最も倫理的な企業』を標榜しながら、コーヒー原産国エチオピアの商標申請への配慮不足
スターバックス商標争いの本質
この問題の本質は、『誰が悪者か』ではなく、『先進国と途上国の間の知的財産権の不均衡』にありました。
スターバックスは2002年から農民と共同開発し、リスクを負って投資し、2004年に正当に商標申請を行っていました。
一方エチオピアは、何世紀も前から存在する産地名の権利を主張しました。
問題は、スターバックスが外交儀礼を無視し、一国の尊厳を軽視したことで、解決可能だった技術的問題を、感情的対立に発展させてしまったことでした。
スターバックスとエチオピア合意内容分析
『Designation』という巧妙な法的回避策
2007年5月の合意で、両者は巧妙な妥協をしました。
3つの産地名のうち、『イルガチェフェ』は既に商標登録が認められていましたが、『ハラール』と『シダモ』はまだ審査中で、全米コーヒー協会の反対により一度は却下されていました。
スターバックスは『まだ商標として認められていないものを、商標として扱うことはできない』という立場でした。
そこで合意文書では、3つすべての名称について『trademark(商標)』という法的な用語を使わず、『designation(デジグネーション=呼称・名称)』という曖昧な言葉を使ったのです。
これは絶妙な外交的解決でした。
● エチオピア側:『我々がこれらの名称を所有している』と主張できる
● スターバックス側:『法的な商標として認めたわけではない』と主張できる
つまり、『シダモという”名前”はエチオピアのものだと認めるが、それが法的な”商標”かどうかは言及しない』という、両者の顔を立てる合意だったのです。
エチオピア知的財産庁(EIPO)のメンギスティ局長は『これで商標登録が認められても認められなくても、我々の所有権は確保された』と説明しています。
法律の抜け道を使った、実に巧妙な解決策でした。
ロイヤリティフリーライセンスの革新性
エチオピアが採用したライセンスモデルは、従来の知的財産戦略とは一線を画すものでした。
ロイヤリティ(使用料)を要求せず、代わりに以下の条件を設定したのです。
● ライセンシーは登録商標を無料で使用できる
● 100%エチオピア産のコーヒーにのみ使用可能
● エチオピアコーヒーの品質と特性を消費者に教育する義務
● マーケティング活動でエチオピアコーヒーを積極的に宣伝
2009年半ばまでに、北米、ヨーロッパ、日本、南アフリカの約100社がライセンス契約を締結。
国内でも47の民間輸出業者と3つの生産者協同組合連合がライセンスを取得しました。
商標で実証された経済効果
価格上昇の具体的データ
商標戦略の効果は、数字として明確に現れました。
イルガチェフェの価格変動
● 2006年:1.40ドル/ポンド
● 2007年:2.00ドル/ポンド(60セント増、43%上昇)
● 農家の収入は前年比で倍増
輸出収入への影響
● 2007-2008年:エチオピアのコーヒー輸出収入が1億100万ドル増加
● 商標化前の最終小売価格に占める農家の取り分:6%
● 商標化後の目標:農家収入を1キロあたり6-8ドルへ(従来の1ドルから大幅改善)
Light Years IPの試算と現実
ロン・レイトン氏は2007年に次のように述べています。
『このプロジェクトは100万ドル未満の投資で、年間1億ドルの収入増をもたらす。投資対効果は驚異的だ』
実際、エチオピア貿易産業省の報告によると、2008年6月までの会計年度で、輸出価格の上昇が主要因となり、コーヒー輸出による追加収入1億100万ドルを達成しました。
商標戦略のその後:持続的な影響
ライセンス契約の拡大と市場認知
2007年の合意から15年以上が経過した現在、エチオピアの商標戦略は確実に成果を上げています。
2009年までに締結された約100社のライセンス契約は、その後も着実に増加。
現在では『Yirgacheffe』『Sidamo』『Harrar』の名称は、単なる産地名ではなく、プレミアムコーヒーのブランドとして世界中で認識されています。
特に注目すべきは、2008年にSpecialty Coffee Association of America(SCAA)がエチオピアを『ポートレート・カントリー(Portrait Country)』に選定したことです。
これは商標戦略の成功と、エチオピアコーヒーの品質向上が国際的に認められた証といえるでしょう。
新たな商標追加と戦略の進化
当初の3つの商標に加え、エチオピアは『Limu』と『Nekemte』の商標登録も進めています。
これは商標戦略の成功を受けた拡大戦略であり、より多くの産地がブランド価値の恩恵を受けられるようになりました。
2020年にはエチオピア初の『カップ・オブ・エクセレンス(Cup of Excellence)競技会』が開催され、個別農園レベルでの品質競争も始まっています。
商標によるマクロなブランド戦略と、個別農園のミクロな差別化戦略が並存する新たな段階に入ったのです。
残された課題と未来への展望
商標戦略は確実に農家の交渉力を高めましたが、依然として課題は残っています。
最大の課題は、商標による利益が実際に400万の小規模農家にどの程度還元されているかという点です。
中間業者の存在、インフラの未整備、情報格差など、構造的な問題は完全には解決されていません。
しかし、エチオピアの挑戦が証明したのは、『知的財産権は先進国の独占物ではない』ということです。
途上国も自らの資源に対する権利を主張し、国際市場で正当な対価を得ることができる。
この前例は、他のアフリカ諸国、さらには世界中の農産物生産国に希望を与えています。
26ドルと60セントの差は完全には埋まっていません。
しかし、エチオピアが起こした『商標革命』は、グローバル経済における公正な価値配分への重要な一歩となったのです。