『日本でコーヒーが育つなんて知らなかった!』 —— そんな驚きの声をよく耳にします。
確かに、ブラジルやエチオピアなどの『コーヒーベルト』から大きく外れた日本で、コーヒー栽培なんて不可能に思えるかもしれません。
ところが実際には、小笠原諸島から沖縄、鹿児島の奄美群島まで、全国各地で情熱的な生産者たちがコーヒー栽培に挑戦しているのです。
台風や寒波と闘い、限られた条件の中で工夫を重ね、わずかながらも貴重な『国産コーヒー』を生み出している彼らの物語は、まさに感動そのもの。
今回は、不可能を可能にする日本のコーヒー挑戦者たちの世界をご紹介します。
日本のコーヒー栽培:基本的な背景
なぜ日本でコーヒー栽培が困難なのか
コーヒーの木が健康に育つためには、年間平均気温15~24℃、年間降水量1,200~2,000mm、明確な雨季と乾季という条件が必要です。
これらの条件を満たすのが、赤道を中心とした北緯25度~南緯25度の『コーヒーベルト』と呼ばれる地域。
日本の大部分はこのコーヒーベルトから外れており、四季があり台風も多い気候は、本来コーヒー栽培には適していません。
それでも、亜熱帯気候の島々や温暖な地域では、生産者たちの情熱と工夫によってコーヒー栽培が実現されているのです。
日本のコーヒー栽培の現状
現在、日本国内でのコーヒー生産量は年間約4トン。
これは世界全体の生産量と比べると微々たるものですが、平均単価は約3万円/kgと非常に高価値な農産物として位置づけられています。
生産地は主に沖縄県、小笠原諸島、鹿児島県の奄美群島で、70件以上の農園が点在しています。
小笠原諸島:日本コーヒー発祥の地の復活物語
明治時代から続く歴史
小笠原諸島は、明治11年(1878年)に日本で初めてコーヒー栽培が試みられた『日本のコーヒー発祥の地』です。
父島には今も『コーヒー山』という地名が残り、当時の栽培の歴史を物語っています。
野瀬農園:戦後復活の奇跡
【Nose’s FarmGarden(野瀬農園)】の物語は、まさに奇跡の復活劇です。
明治時代に野瀬家がコーヒーの苗を譲り受けたのが始まりでしたが、第二次世界大戦中に全島民が強制疎開を余儀なくされました。
戦争が終わり島が日本に返還された時、土地はジャングル化していました。
しかし昭和48年、4代目の野瀬昭雄さんが帰島すると、荒れ果てた土地で命をつないでいるコーヒーの木を発見。この発見が小笠原コーヒーの復活のきっかけとなりました。
現在は娘のもとみさんが栽培を引き継ぎ、観光客向けのコーヒーツアーを実施。
参加者が自ら手で焙煎した貴重な一杯を森の中で味わうという、他では体験できない特別な時間を提供しています。
USK Coffee:名古屋からの移住者が築いた夢
USK Coffeeを営む山野雄介さんは、名古屋で焙煎工場に勤めていた生粋のコーヒーファンでした。
『コーヒーのすべてを自分でやりたくて』という思いから、2004年に父島に移住を決断。
移住後は野生のヤギの襲来や毎年見舞われる台風被害と格闘しながら、現在250本のコーヒーの木を育てています。
森の中に留め置いたヴィンテージのエアストリームをキッチンにしたユニークなカフェで、100%小笠原産の『ボニンアイランドコーヒー』を提供。
2010年にはハワイ島コナで開催されたKona Coffee Cultural Festivalに日本代表として出席するなど、注目される生産者のひとりです。
ハートロックカフェ:情熱が生んだ農園
ガイド業を25年以上営む竹澤博隆さんは、『せっかくなら小笠原コーヒーを出したい』という思いから農園開設を決意。
ガジュマルの木がうっそうと生い茂るジャングルだった場所を、1年間スタッフ総出で開墾しました。
『景色を変えるのが僕の大好きな仕事。毎日、自由研究している感じですね。』
と語る竹澤さんの情熱が、新たなコーヒー農園を生み出したのです。
沖縄県:亜熱帯の恵みを活かした本格展開
沖縄コーヒーの歴史と発展
沖縄でのコーヒー栽培は約45年前、和宇慶さんがブラジルにある日本人移民農場からムンドノーボ種を入手したことから始まりました。
現在では沖縄本島から石垣島まで、70件以上の農園が存在し、年間約4トンの生産量を誇ります。
2014年には『沖縄珈琲生産組合』が設立され、台風・強光・寒波の3つの課題に対する対策を強化。
品質の維持と安定した生産を目指しています。
又吉コーヒー園:体験型農園の先駆者
又吉コーヒー園は沖縄県東村にある代表的な観光農園です。
無農薬による栽培から収穫、乾燥、脱穀、選別、焙煎、出荷まで、6次産業化による一貫生産を実践。
コーヒーの収穫・焙煎体験ツアーでは、参加者が実際にコーヒーチェリーを手摘みし、自分で焙煎したコーヒーを味わうことができます。
『コーヒー1杯に込められた生産者の想いと努力』を肌で感じられる貴重な体験として人気を集めています。
中山コーヒー園:究極の一杯を求めて
やんばるの自然に囲まれた中山コーヒー園は、『From seed to cup(種からカップまで)』をテーマに究極の一杯を追求。
ハーブガーデンも併設し、五感すべてで楽しめる癒しの空間を提供しています。
ADA FARM:日本初のスペシャルティコーヒー
国頭村安田のやんばるの森でADA FARMを営む徳田泰二郎・優子夫妻。
2008年からコーヒー農園を開始し、『日本で初めてスペシャルティコーヒーの認定を受けた農園』として注目されています。
『FARM THE FUTURE!(未来を耕せ!)』をテーマに、自然と共生しながらの栽培を実践。
当初は業界関係者からあまり良い反応を得られませんでしたが、『なにくそー』の精神で品質向上に取り組み続け、現在では高く評価されています。
Harmony Farm:有機栽培のこだわり
沖縄県やんばる東村にあるHarmony Farmでは、栽培から精製、焙煎までを一貫して手掛けています。
主に鶏糞・牛糞などの有機肥料を使用し、手間暇かけて育てた貴重な国産コーヒーを生産。
完熟した実を手摘みで収穫し、丁寧な精製過程を経て高品質なコーヒーを作り上げています。
鹿児島県奄美群島:パイオニアたちの島
徳之島コーヒー生産者会(吉玉誠一氏):1982年からの挑戦
鹿児島県の徳之島は、日本のコーヒー栽培において特別な意味を持つ島です。
吉玉誠一さんが1982年に徳之島で最初のコーヒー栽培を開始。
大阪の鉄工所で20年間働いた後、幼い頃からの憧れだったブラジル農業への思いを胸に島に渡りました。
最初は海側の塩害、山側の冬の寒さでコーヒーの木が枯れるなど困難の連続。
それでも諦めずに試行錯誤を重ね、苗木を植えてから4年後の1986年にコーヒーノキに初めて白い花が咲き、翌年には待望の実がなりました。
現在は『徳之島コーヒー生産者会』として20名の会員が活動し、AGF(味の素AGF)との支援プロジェクトで技術向上を目指しています。
宮出珈琲園(宮出博史氏):台風全滅からの復活劇
宮出珈琲園の宮出博史氏は、大阪府出身で2007年から徳之島でコーヒー栽培を開始。
途中、台風被害により育てていたコーヒーの木2500本が全滅するという壊滅的な被害に遭いました。
それでも諦めずに再挑戦し、現在は2500本のコーヒーの木と共に暮らしています。
『コーヒーの木まるごと』をテーマに、従来は捨てられていた果実も活用する独自のアプローチを展開中です。
栄農園:奄美大島の有機栽培
奄美大島で有機栽培によるコーヒー苗木を生産する栄農園。
熊本のJaponic Coffee Farm 阿蘇に苗木を提供するなど、技術力の高さで知られています。
奄美群島のコーヒー栽培ネットワークの重要な一翼を担っています。
熊本・関東・岡山:新たなフロンティア
Japonic Coffee Farm 阿蘇(熊本県):自然栽培への挑戦
2022年5月、熊本県南阿蘇村でJaponic Coffee Farm 阿蘇が日本初の自然栽培コーヒー園を開始。
『世界最高級のコーヒーを、日本から』をビジョンに、無農薬・無肥料・除草剤なしの自然栽培でコーヒー本来の味を最大限に引き出すことを目指しています。
タンザニア出身で実家がコーヒー園を経営するオーガスト・バルタザリさんなど、複数の栽培経験者が参加。
世界的な品質審査制度『カップ・オブ・エクセレンス』での入賞を目標に掲げる野心的なプロジェクトです。
やまこうファーム(岡山県):本州初の快挙
2022年、やまこうファームが本州で初めて国産コーヒーの収穫に成功しました。
『JAPAN COFFEE PROJECT(ジャパン・コーヒー・プロジェクト)』として、国産コーヒーの一般消費者への提供を目指し、コーヒー苗の販売や栽培コンサルティングも展開しています。
ヤチフォルニア農園公国(関東):関東初の挑戦
2023年3月に始動したヤチフォルニア農園公国は、関東初の国産コーヒー農園として注目を集めています。
『コーヒー苗オーナー様、生産者・就農者・事業者・消費者、国産コーヒーの普及に関わる全ての方を笑顔にしたい』をコンセプトに、新しい形のコーヒー栽培を実践中です。
注目の取り組みとプロジェクト
沖縄コーヒープロジェクト
産学官連携の大規模挑戦
2019年に開始された沖縄コーヒープロジェクトは、現代日本のコーヒー栽培における最大規模の取り組みです。ネスレ日本、元サッカー日本代表・高原直泰氏が率いる沖縄SV、琉球大学が産学官で連携し、現在沖縄県内20カ所でコーヒー栽培を展開。県内の耕作放棄地を活用し、農業就業者の高齢化や後継者不足という課題解決を目指しています。
奄美大島10万本プロジェクト
壮大な構想
農業生産法人『うむい』が主導する奄美大島芦花部地区での大規模コーヒー栽培プロジェクト。約40年前まで大島紬用の桑が植えられていた約11万平方メートルの段々畑に、最終的には1万本の植え付けを計画。『奄美群島のコーヒー栽培モデル確立』を目指す野心的な取り組みです。
鹿児島県産珈琲生産協会
技術共有ネットワーク
与論島、沖永良部島、喜界島、屋久島、鹿屋市など、鹿児島県内各地のコーヒー生産者をつなぐ協会組織。各島の生産者間での技術共有と品質向上を推進し、鹿児島県全体のコーヒー栽培レベル向上に貢献しています。
日本のコーヒー栽培が直面する課題と魅力
これらの挑戦者たちが共通して直面する課題は深刻です
気候的制約 | コーヒーベルトからの逸脱による温度・降水量の不安定さ |
自然災害 | 台風、寒波、塩害などの頻発する被害 |
収穫量の限界 | 大規模生産の困難さと安定供給の難しさ |
高いコスト | 世界最高水準の人件費と設備投資の負担 |
技術的課題 | 日本の気候に適した品種改良や栽培方法の確立 |
挑戦者たちが信じる国産コーヒーの魅力
数々の困難を乗り越えながらも、彼らが情熱を注ぎ続けるのは、国産コーヒーにしかない特別な価値を信じているからです。
新鮮さ | 収穫から消費者の手に届くまでの時間が圧倒的に短い |
トレーサビリティ | 生産者の顔が見える安心感と信頼関係 |
体験価値 | 農園見学や収穫体験など、教育・観光資源としての価値 |
地域活性化 | 新たな特産品としての地域ブランド化 |
独自性 | 日本独自の気候・土壌が生む他にはない個性的な風味 |
未来への可能性
気候変動により従来のコーヒーベルトが北上している現在、日本の生産者たちの挑戦は単なる地域興しを超えた意味を持っています。
彼らは将来のコーヒー栽培の可能性を示すパイオニアとして、世界のコーヒー業界からも注目されているのです。
現在年間4トンという微々たる生産量ですが、技術の進歩と生産者の情熱により、日本が新たなコーヒー産地として認知される日は、そう遠くないかもしれません。
Coffee Navi 不可能を可能にする情熱
日本のコーヒー栽培は、まさに『不可能を可能にする』挑戦そのものです。
コーヒーベルトという地理的制約を乗り越え、台風や寒波といった自然災害と闘い、限られた条件の中で最高品質を追求する生産者たち。
彼らの情熱と工夫によって生まれる一杯一杯のコーヒーには、世界のどこにもない特別な価値が込められています。
あなたが次にコーヒーを飲むとき、もしそれが『国産コーヒー』だったなら、その背景にある挑戦者たちの物語を思い出してみてください。
小笠原の海風、沖縄の太陽、奄美の森 —— それぞれの土地で育まれた一粒一粒には、生産者の夢と情熱が詰まっているのです。
日本のコーヒー栽培は、まだ始まったばかり。
これからどんな新しい物語が生まれるのか、私たちも一緒に見守っていきたいと思います。