エスプレッソ ── と聞けば、『苦そう』『強そう』と思いますね。
でもその一杯には、専用のエスプレッソマシンでの抽出技術、黄金の泡”クレマ”の美しさ、そして街での飲まれ方という文化的所作まで、たくさんの意味がつまっています。
たった30mlのコーヒーなのに、香り・味・見た目・飲み方まで完成された世界。
『なぜ苦いのか?』『なぜ泡が立つのか?』『なぜ街の文化に定着したのか?』という角度から、エスプレッソの定義・歴史・楽しみ方までを”やさしく・楽しく”ご案内します。
エスプレッソとは何か ── 30mlの世界
圧力で短時間抽出するコーヒー
エスプレッソとは、高圧で短時間に抽出された少量のコーヒーのこと。
イタリア発祥のこのスタイルでは、9気圧前後の圧力をかけ、わずか20~30秒で抽出します。
この『9気圧』という数値は、約88メートルの水深での圧力と同等です。
このスピーディな抽出によって、コーヒーの旨味成分がギュッと凝縮され、香りや口当たりの強い液体が生まれます。
エスプレッソは『抽出方法の名前』であり、『豆の種類』や『味の系統』ではない点にも注意が必要です。
量が少なく、味が凝縮されている
抽出量はわずか30ml前後と、デミタスカップと呼ばれる小さな陶器に収まる程度です。
しかしこの少量には、コーヒー豆から引き出された油分・苦味・酸味・コク・香りが凝縮されています。
上に浮かぶ『クレマ』と呼ばれる泡は、エスプレッソ特有のものでマシンで高圧抽出された結果、微細な空気と油分が乳化した現象です。
良質なクレマは、きめ細かく、厚さが1-2mm程度あり、スプーンで軽くかき混ぜても簡単には消えません。
色は使用する豆や焙煎度によって、黄金色から赤褐色まで変化します。
専用マシンで淹れるのが基本
エスプレッソは、専用のマシン(エスプレッソマシン)を使って抽出します。
お湯の温度、圧力、抽出時間などが非常にシビアに管理され、豆・挽き方・タンピング(粉を詰める動作)まで全体が密接に絡み合います。
この緻密なプロセスこそが、『濃厚で奥深い一杯』を生む理由です。
ドリップコーヒーとのちがい
ドリップコーヒーはお湯の重力でゆっくり成分を抽出しますが、エスプレッソは圧力によって短時間で濃く抽出します。
味覚はもちろん、立ち上る香りまですべて異なるため『同じコーヒー豆でも別の飲み物』に思えるほどの違いがあります。
- ドリップ:150~200ml・3分前後・やさしくゆっくり
- エスプレッソ:30ml・20秒から30秒・香りとコクが凝縮
歴史をたどる ── マシンと味覚の進化
1901年、ベッツェラの圧力マシン登場
1884年、トリノのアンジェロ・モリオンドが世界初の蒸気圧抽出装置を発明しました。
しかしこれは大量抽出用で、個別の一杯は作れませんでした。
1901年、ミラノのルイジ・ベッツェラが真の革命を起こします。
彼は初めて『一杯ずつ個別に淹れる』技術を実現。
ポルタフィルターを発明し、注文ごとに淹れる方式を確立。
これこそが現代エスプレッソの始まりです。
1948年、ガッジアとクレマの誕生
1948年、アキーレ・ガッジアがレバー式エスプレッソマシンを発明。
9気圧という抽出圧が実現され、そこに初めて黄金の泡”クレマ”が表面に立つように ── 。
当初、この泡は『不純物』と誤解されましたが、ガッジアは逆転の発想で『crema caffè naturale(天然のコーヒークリーム)』として売り出しました。
この美しさは、味覚だけでなく視覚的な満足感をもたらし、エスプレッソの象徴となりました。
スペシャルティとともに再評価された一杯
サードウェーブと呼ばれるコーヒー革命が起こった1980年代以降、エスプレッソは浅煎り豆や産地による味設計にも対応する”繊細な抽出方式”として再評価。
苦味だけでない魅力 ── それが今、新たな支持を集める理由です。
エスプレッソの由来と文化的背景
街ごとに異なる個性
エスプレッソは同じイタリアでも、地域により全く違う表情を見せます。
ナポリは『コーヒーの街』として知られ、イタリア国内でも特に消費量が多い都市です。
イルピーニア山地のセリーノ泉から引かれた純水と、クレマを濃厚にするロブスタ豆の使用が特徴。
極めて熱い温度で提供され、バリスタは小さなスプーンで少量をカップの縁に移して冷ますよう勧めます。
また『カフェ・ソスペーゾ(保留されたコーヒー)』という伝統があり、客が2杯分の代金を払い、自分は1杯飲み、もう1杯分は後で来る貧しい人が『ソスペーゾはありますか?』と尋ねた時に無料で提供される相互扶助の文化が今も息づいています。
シチリアでは、9~11世紀のアラブ支配の影響が色濃く残り、濃密で暗い色、ドライフルーツとスパイスの香りが特徴。
エスプレッソは家族の絆とおもてなしの象徴として、日常に深く根付いています。
価格も地域差があり、ナポリは€1.03、ローマは€1.06と手頃ですが、ヴェネツィアは€1.19から、サンマルコ広場では€11.50にもなります。
『espresso』の語源
急速・特注・早いために
“Espresso”という言葉は、イタリア語で『急速に抽出された』『個別に淹れられた』といった意味合いを持ちます。
語源はラテン語 exprimere(押し出す)に由来しており、英語の『express(急行/速達)』とは直接の関係はありません。
しかしその語感の類似から、『expressの仲間』と誤解されることもしばしばあります。
ただ、駅の売店や通勤の合間に短時間で味わうイタリアで生活に根づいた”日常のコーヒー” ── こうした誤解を経て生活に定着した言葉は、語源とは違う意味の親しみを生むこともあります。
イタリアのバール文化と立ち飲み文化
イタリア語で『espresso per lei(あなたのためのエスプレッソ)』という表現があるように、エスプレッソは注文を受けてから一杯ずつ淹れる、パーソナルな飲み物なのです。
エスプレッソは、イタリアで”立ち飲み”の文化とともに発展してきました。
朝の出勤前に、地元のバールで立ち寄り、カウンターでエスプレッソをクイッと一杯。
それが『イタリアの朝のルーティン』として定着しています。
バールでは、カウンターで先に支払いを済ませ、レシートをバリスタに見せて注文するのが基本。
座席に座ると追加料金がかかります。
朝はカプチーノが定番ですが、午前11時を過ぎるとエスプレッソに切り替える ── これが暗黙のルールです。
ミルクは消化に重いという考えから、昼食後のカプチーノは避けられています。
そしてエスプレッソが世界に広がった
1980年代以降、エスプレッソ文化はスターバックスなどのグローバルチェーンの普及と共に世界へ拡大しました。
特に『カフェラテ』『カプチーノ』などの派生ドリンクが浸透しエスプレッソを”飲み物そのもの”ではなく”味のベース”とする考えが一般化。
その結果、本来のエスプレッソは知らないがラテは好きという人が増えていったのです。
エスプレッソベースのコーヒー
当店(addCoffee)はJR駅にあるので、海外の方が多け、カウンターでエスプレッソをよく注文されます。
日本人は、『割って楽しむ』のがほとんどです。
エスプレッソは単独で完結する飲み物であるので、そのまま試してもらえればと思う一方で、他の多彩な表現への起点としても優秀なのは間違いありません。
現在、最もスタイリッシュなエスプレッソベースのコーヒーをご案内します。
カフェラテで”甘み”を感じる
もっとも有名なコーヒーです。
みんな大好きミルクで割った『カフェラテ』は、エスプレッソの入口。
スチームされたミルクがエスプレッソのビター感を丸く包み、ほんのり甘みすら感じさせる味に変えてくれます。
上等なコーヒー豆(スペシャルティコーヒー)で作ったカフェラテは、シロップを入れずにどうぞ。
他にも、
ミルクを使うエスプレッソドリンクは『カプチーノ』『マキアート』『フラットホワイト』など多彩です。
アメリカーノで香りを感じる
エスプレッソに構えてしまう方は、アメリカーノがおススメ。
これは、エスプレッソにお湯を注ぎ、約120ml程度の飲みやすい量にするスタイル。
addCoffee では、約170mlに調整され、『ブレンド』とか『普通のコーヒー』とか注文されればアメリカーノが出てきます。
『香りはそのままに飲みやすく』という、ハードルをやわらげるアプローチです。
エスプレッソトニックで新境地
エスプレッソトニックとはノルウェーで生まれ、2010年に世界で流行を起こした新感覚の炭酸系コーヒーです。
日本では2015~2016年に爆発的に人気が上昇し、その後、スターバックスが追随してから随分メジャーとなりました。
メジャーなのはコーヒーラバーだけで、一般的には知名度はまだまだです。
エスプレッソもしっかり感じ取れ、複雑なテクスチャーが新感覚。
でぜひ経験していただきたいコーヒーです。
エスプレッソを試してみますか?
小さいころから、ずいぶんと食の好みが変わったように、ひょっとしたら、エスプレッソの苦みの奥に控えた複雑な香りがとても興味深く思える日が来るかもしれません。
そんなときは、スペシャルティコーヒー浅煎りのシングルオリジン(単一産地)に挑戦してください。
たとえば、エチオピアやボリビアの豆はエスプレッソにしても華やかな香りやフルーティーな酸味が感じられます。
まずはクレマを混ぜずに試してみてください。
いつか『エスプレッソってこんなに複雑で味わい深いの?』と気づくでしょう。
- 香りを楽しむ:濃厚な香りがエスプレッソの魅力の一つ
- クレマを観察する :品質の良さを視覚で確認
- 砂糖を入れるか決める:苦味が心配なら遠慮なく番号リスト
- 少量ずつ味わう:一気に飲まず、少しずつ
- 水で口をリセット:リンスという、次の一口をより楽しむため
小さな宇宙への招待状
そのサイズ、時間、香り、泡、所作 ──
すべてが凝縮され、たった30mlに宿っています。
エスプレッソは、ただ濃くて小さいコーヒーではなく、味覚・文化・技術が詰まった”小さな宇宙”のような存在。
はじめて飲むと苦さしか感じないかもしれません。
慣れてくれば、『技術の積み重ね』『文化のリズム』『身体で感じる感覚』が込められていることに気づくでしょう。
そう ── エスプレッソとは、見方を変えれば、世界が変わる一杯なのです。