『エスプレッソは苦い』 ── そう言われると、多くの人は疑わずにうなずきます。
けれど、なぜ苦いのかを問われると、答えに詰まることも少なくありません。
本記事では、苦味の“印象”ではなく、“体感されている理由”に踏み込んで解き明かします。
コーヒー豆に含まれる苦味成分、抽出時に起こる化学変化、そしてロブスタ種が支配していた時代の味覚設計。
さらに現代のスペシャルティへの移行によって、苦味の役割さえも変化しています。
☕『苦い』の先にあるもの ── それは、舌が感じること以上の物語でした。
📝 エスプレッソの名前や文化について知りたい方
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エスプレッソは“本当に”苦い ── 舌が知覚している感覚
印象ではなく、舌が受け取っている苦味
エスプレッソが『苦い』と言われる背景には、構造的・化学的・歴史的な複数の要因が絡んでいます。
まず第一に ── これは錯覚ではありません。
苦味は、舌の味覚受容体に対して明確に“作用している成分”なのです。
『濃そう』『見た目が強そう』『泡が重そう』 ── そうした先入観も確かに苦味の印象を補強しますが、味覚そのものとして『苦い』と受け取っているならば、それは印象ではなく体感です。
つまり、“苦いものは苦い”という前提から話は始まります。
少量でも強く感じる理由は“密度”と“残留”
エスプレッソは、わずか数十mlという少量で抽出されるコーヒーですが、内部には多くの香味成分・油分・微粒子が含まれています。
この構成密度の高さこそが、苦味を強く感じさせる最大の要因です。
さらに、コーヒーオイルが舌の表面に膜を張ることで、苦味は“一瞬”ではなく“数秒”残るようになります。
その余韻こそが、『濃い=強い=苦い』という連想を強化させているのです。
苦味の正体 ── クロロゲン酸が分解されて生まれる構造
クロロゲン酸とは? ── 豆に含まれるポリフェノールの正体
コーヒー豆には、クロロゲン酸というポリフェノール成分が豊富に含まれています。
これは抗酸化作用や血糖値の調整で知られ、サプリメントや栄養ドリンクにも使われる素材です。
しかし加熱を加えると、このクロロゲン酸は分解されて“キノイド類”と呼ばれる苦味成分に変化します。
これは焦げ目の強いソースの端、焼き過ぎた野菜の皮などにも出てくる“あのわずかな苦味”に近い存在です。
苦味を“感じさせる”条件とその抑え方
高温焙煎・高圧抽出のエスプレッソでは、このキノイド類が凝縮されて液体へ移りやすくなります。
そのため、苦味は表層的ではなく、構成的に強く現れるのです。
☕ ただし、この苦味は調整可能でもあります。
- 焙煎の浅煎り化:分解前の状態で止める
- 圧力・抽出時間の調整:苦味成分が液体に移る割合を抑える
- ミルクや脂質の使用:受容体との接触を緩和し、余韻を穏やかにする
苦いものは苦い。
でも、その“付き合い方”は選べるのです。
ロブスタ種が支配した“苦味時代”のエスプレッソ
昔のエスプレッソはなぜ強かったのか?
エスプレッソの原型はイタリアで生まれました。
そこで主流だった豆は、アラビカ種よりも味が強く、収量の高いロブスタ種。
しかも深煎り。
結果として、苦味が際立つ飲みものが主流となりました。
その目的は『味わう』ではなく『叩き起こす』 ── 朝に目を覚ます装置として、苦味はその象徴だったのです。
“苦味”は文化ではなく機能だった
ナポリのエスプレッソは、一気に飲み干すのが定番。
温度が下がると苦味が不安定になるからです。
つまり『飲み干す速さ』さえも、苦味と結びついていました。
☕ この頃のエスプレッソは、苦味が『構造』ではなく『機能』だった。
味ではなく、役割だったのです。
現代エスプレッソは“香りで飲む” ── 苦味は脇役に
スペシャルティコーヒーがもたらした味覚の変化
21世紀以降、浅煎りや中煎りの高品質豆がエスプレッソ抽出にも使用されるようになりました。
エチオピアやケニア産の豆は、果実感・フローラルな香り・穏やかな酸味といった要素が前面に出る構成を持ち、苦味はむしろ“輪郭”を支える要素として使われるようになったのです。
浅煎りであっても、圧力・粉砕度・抽出温度によって柔らかいボディ感は十分に出せるようになり、“苦くないエスプレッソ”を標榜するカフェも現れました。
苦味が消えたわけではない ── 居場所が変わっただけ
現代のエスプレッソは、“苦味を減らす”のではなく、“苦味のポジションを変える”方向に進化しています。
複雑な香味と一緒に感じることで、苦味が『語られる成分』から『沈黙する支え』へと位置づけを変えたのです。
☕ 苦いものは苦い。
けれど“そのままではない” ── 今のエスプレッソは、苦味を“背負っている”のではなく、“香りに託している”飲みものなのです。
Coffee ナビ ──
苦味は『感じ方』であり『素材』でもあった
エスプレッソが苦い理由は、印象や文化だけではなく、科学・構造・歴史にまで根ざしています。
クロロゲン酸の熱分解から生まれたキノイド類、高密度抽出による味の余韻、ロブスタ時代の設計思想 ── それらが組み合わさって、今の『エスプレッソ=苦い』という認識が生まれていました。
けれどその苦味は、時代とともに役割を変えています。
過去の“目覚ましとしての苦味”があったからこそ、現在は“輪郭を支える苦味”を選びとれるようになった。
素材としての苦味に、デザインする余地ができたのです。
もし、次にエスプレッソを飲む機会があれば ── ただの“強い味”としてではなく、“何に支えられた味なのか”を感じてみてください。
☕ 苦いものは、苦い。
でも、それを選ぶ理由は、時代によって、舌によって、そしてあなた自身によって、変えていいのです。